
その日、私と母は伊東にいた。
恒例、春の一泊旅行に出ていた。

伊東の静かな海を散歩して、駅の近くの和カフェに入った。

和カフェで、白玉パフェを頼んだ。
壁にかかったアンティークの時計の写真を撮った。
パフェが来た。
揺れた。
長く揺れた。
私は、腰を浮かしグルグル考え続けていた。母が一緒だったからだ。
『このビル、結構古かったなぁ。外に出るべきだろうか?』
別の席のマダム達が小さな悲鳴を上げている。
だが、結局たいして大きく揺れずにおさまった。
ふと、向かいの母を見ると、パフェを食べ終えていた。
・・・・なんか驚愕。

1時間ぐらいたってからだろうか、
携帯に、大丈夫か?というメールがいくつか来た。
『さては、伊東にいるのでみんなに心配かけちゃったんだな。』
と、なんとも自己中心的な思いを抱いたものだ。
東京が、伊東よりずっと揺れたとは考えもしなかった。
しかし、のんきに散歩をしていても、
小さな余震が続く中、
段々イヤな感じがしてきて、
畑の横でラジオを聞いていた地元の方に、何が起きたのか、と尋ねてみる。
『東北の方で、大きな地震があったんだって。』
それからホテルに戻ると、目を疑う情報にさらされた。

EVESENのもとに、ミチトシが帰り着くまで、
不安だった。

その後は、
みんな色々あったように、
我々も色々あった。

でも、なんだか、
あの不安な、日々をあまり細かく覚えていない。
東北の人々はどうなのだろうか。

小さな、出来る事をいくつかしたけれど、
まだこれからだと思っている。
私の、この小さなスキルが、いつかきっと役に立つ日が来ると思う。
あまちゃん、また見たいな・・・。
昨日のコメントさんへ:
ありがとありがとー。
とーきょーには〜明日、四温ちゃんが来るわよ。
さ!ポチッと押すと、あなたは夢の中でキノコをかぶる。思いのほか似合う。

ポッチをありがとおね。明日もきっときっと会おうね。
コメント
コメント一覧 (10)
自力で立っていられなくて、机に両手を着いてしがみつき、やっと立っていた。
天井から長年のホコリなのかゴミなのか塗料のかけらなのか?がパラパラ降ってきて、もしかしたらこのまま死んじゃうのかな?と一瞬思った。
私の隣の机の8ヶ月の妊婦さんが見当たらない・・・、彼女は今何処?とすっごく心配になった。
やっと揺れがおさまった後、暫くして彼女が帰って来た。
何と、トイレの個室で最中に揺れを感じ、動けずにそのまま座ったままで「もしかして私はこのまま死んじゃうのか?そうしたら、もし発見された時、私は便座に座ったまんまの姿勢で発見されるのか?そんなの嫌じゃ!でも揺れが激しくて立てない・・・どうしよう・・・。」と焦りながら思っていたそうだ。
あの日、皆それぞれの場所で震災を体験したのだね。
小さな出来る事、当時は自分なりにしてみたけれど、まだまだやり足りないと思っている。
piobi
が
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東北の地に遠征するのはいつ頃でしょうね。
piobi
が
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piobi
が
しました
大きく波打つひさしを見てた。
鳥の声も人の声も聞こえずやたら静かだったのを覚えている。
小学生の頃から来る来ると聞かされていた関東大震災が来たと思った。
猫二匹は押入れから出て来ない。
わんぽんは半日後ぽちこは少ししてから出てきた。
その後のあたしは何も出来ないまま家にこもって過ごした。
しおんちゃん来た?花粉ちゃんは来たとよー。
piobi
が
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幕張の周辺は液状化でドロドロだし幕張周辺のホテルは満室。
セミナー会場で折り畳みのテーブルの下に隠れて
隣のお姉ちゃんがパニックになりかけてたので
この建物は耐震構造なので大丈夫だよ。ってウソつきました。
帰りに川を逆流した津波をみながら帰ったら
近所のガスタンクが爆発。7時間歩いたのが辛かった。
早くシオンちゃんが常駐してくれるといいな。
piobi
が
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揺れて、いろんなものが落ちてきて、
部屋からおろおろと出て来た義母を
寝室に押し込んで上から覆い被さって、
揺れが治まってから、猫たちを探したんだけど、そしたら、
リズムはうちでいちばん頑丈なテーブルの下にいるし、
ドラムは窓を自分で開けて庭に出て大きな木の下にいるしで、
ぼくはそのとき「お前たちに着いていく」と思いました。
piobi
が
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自分の感覚では、阪神淡路の時と同じぐらいでしたね。
同じ部屋に居た長男君と次男君は平気な顔して寝てましたけど・・・(^^;)
piobi
が
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三年前は昼だったので会社にいたけど、最初めまいかと思った。
箱に入れられて横に揺さぶられてる感じがずっと続いて、地震だと。
私も最初は「また伊豆の方かなあ」と思ってたけど、誰かが「東北の方
らしいよ」と聞いてきてビックリ。東北の地震でこっち(浜松)がこれだけ
揺れるなんてどういう事よ?あとはただ、ただ、テレビの映像に驚愕・涙
するばかり。都内の友達からメールがきたのはしばらくしてから。
パンが買えないとあったので、段ボールに大量に詰め込んで送ったっけ。
しおんちゃん来てます。つくしも出たよ。
piobi
が
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今でも津波がビニールハウスを飲み込みながら内陸へと押し寄せている映像は見れません。
親達が住む場所は海のすぐ近く、もしかしてもう・・・と何度も思いました。
1ヶ月近く連絡も取れず、本当に無事なのか不安な日々でした。
まだまだ復興への道のりは遠く、宮城より福島の方達の事を思うと悲しくてなりません。
piobi
が
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夜9時頃に会社を出て家に着いたのは翌朝。
棚から落ちた本だの色々の山を跳び超えてきたコタローさんが
「あーん」って言ったの…。
生きててよかったと思いました。
piobi
が
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